母の野球奮闘記!

親子で経験した硬式野球!お茶当番や様々な両親の役割を、母親目線で呟いています。賛否両論様々なご意見があると思いますが、こんなチームもあるんだと参考になれば幸いです。

父と過ごした少年団での楽しい野球経験を終えた息子は、半ば勢いで中学硬式野球に入団したが、厳しい指導と過酷な練習に心と体がつまずいた。また母も、当番という大きな負担が生活を一転させ、息子とともにつまずいた。
卒団までの辛抱と心に決めた親子は、新たな決意と共に忍耐の日々が始まった…と思っていた。
しかし、あっと言う間に一年が過ぎ、なぜか親子は練習と当番の日がそんなに辛くなくなってきた。負担ばかりだと考えていたが、いつしか父母そして子供達の絆が深くなり、そんな仲間と共感することで負担への気持ちが軽くなったのかも知れない。
そんな様々な変化において、母と子の野球奮闘記として記録に残してみようと思う。

それぞれの道へ…


高校での野球部活動を終え、それぞれの道へ進みます。

久しぶりにお世話なった岐阜ボーイズへ息子達は改めてご挨拶に訪れました。


在籍中の団員の御父兄方は、私たちOBの突然の訪問に対し温かく迎えて下さり、更にコーヒーまで頂きました。


温かい接遇や配慮には本当に頭が下がります。同時に変わらぬ当番の姿には伝統すら感じられ、当時をも懐かしく思い出されました。


当時の監督やコーチの方々も息子達の成長に懐かしみながら声をかけてくださり、またそれぞれが進む道へのアドバイスを含めエールをくださいました。

改めて感謝したいと思います。


『指導』とは…


最近、また日大ラグビー部ヘッドコーチによる不適切な指導や暴力行為が明らかになった。


スポーツ界では幾度となく指導のあり方について議論されてきたにも関わらず、こういった問題は幾度となく起きてしまう。何故だろう…


教育において当たり前に行われる指導。

息子も野球を通して様々な指導者に出会いご指導を頂いてきた。


いい機会なので、これまで出会った監督やコーチとの関わりを踏まえて、子供にとっての指導者そして指導はどうだったかを私なりに振り返ってみたいと思う。


小学校低学年時の少年野球の監督は、失敗しても声を荒らげる事なく子供の性格を見極めて指導をして下さった。やんちゃな時期の子供達も一生懸命指導に耳を傾け、期待に応えるために練習に励んだ。


高学年になると監督も代わり練習内容もハードになった。だらだらしていると怒声を張り上げながら飴と鞭を上手に使い分けて、子供達のやる気に刺激を与えながら指導に当たって下さった。時には子供達の言葉使いや態度にも厳しくご指導頂き、礼儀や挨拶をしっかり教えて頂いた。


野球は社会性を身につける原点であったと言える。


子供は常に緊張感をもって練習や試合に臨み、休憩時には無邪気な少年に戻るといった気持ちを切り替える技を学んでいった。


中学生になるとボーイズリーグに入団し、監督を初め沢山の個性ある指導者と出会った。


指導の厳しさと練習では凄い気迫に戸惑い少年野球とは全く違った指導方法に圧倒された。

息子は厳しい指導とハードな練習に身が持たず、メンタルにもダメージを受けてしばらく立ち直れずにいた。


案の定野球を辞めたいと言ってきた息子に、父は『逃げない心』と『体力作り』を目標に最後まで頑張れと励ましたが、しばらく絶望感に漂っていた。


追い詰められた息子が何かしでかすのでは…と毎日ヒヤヒヤしたことが思い出される。


結局野球を辞めれないと悟った息子は、毎週練習に向かう際、友人の父の車に抵抗すること無く乗車はしたが葬式に向かうような心境で練習場に向かって行った。よほど辛かったのだろう…。

息子の友人と友人の父には本当に申し訳なかったと思う。


以前から監督やコーチより指導への熱い思いを伺っていたので、私たち夫婦はその思いに希望を託し指導をお願いしてきた。


結果、息子は練習を休むことなく最後まで続けられたが、その思いが息子に伝わったかは定かでは無い。


今思えば、小さい頃から厳しさに触れてこなかったことが息子にとって初めての心の挫折となったと思う。


今まで常に父がいて、側で息子を見守り諭しながら支えてきた環境は、息子にとってそれは良くも悪くも影響し、中学野球の指導の厳しさに戸惑い傷ついた。


しかし、息子は逃げだしたい気持ちと闘いながら『割り切る心』と『気持ちを立て直す方法』を自らで考え身についていったんだと思う。


結果、ボーイズでの指導は社会人になる為の息子にとって貴重で重要な経験だったと私はと思う。



高校野球では恐らく今までのなかで一番厳しいのではと思われる監督に指導を受けることになった。


その監督の指導の魅力は実績のある指導力であり、指導方法には一目置かれていた。


息子はその噂を多少なりとも知っており、あえて臨んで入部した。


私たち夫婦も幾度か練習を見に学校まで出掛けたが、練習は統計から導く理論的な指導であることに圧倒された。


高校野球の練習は、ボーイズより厳しいと話す息子だったが気持ちに余裕すら感じた私は、中学の悲壮感漂う姿を見てきたので、「今回は大したことが無い」と感じただけかもしれない。


また、ボーイズ時代に得た『割り切る心』が、ここで大きく役立ったのではないかと思う。



指導者が厳しすぎると思う人は、指導者の態度や言葉・声のトーンから感情に注目しがちで、子供は怒られまいと身構える。結果、思うように行動出来ず子供によっては萎縮してしまう。子供の性格もそういった指導には大きく影響すると思う。


指導を威圧的だと感じた子供の場合、本来の指導の意図が半分も伝わらず、それどころか真逆の結果を生むことになるだろう。

しかし感情に左右されず閃きのように感じた子供なら、ますますモチベーションがあがり行動にも反映されよい結果につながる。


つまり指導は相手の受け止め方次第であり、結果に大きく影響を受けると言える。




これまで様々な指導者と出会い指導者の熱い思いに触れてきたが、感情に左右されない関係を築くまでは、弱者である子供だからこそ指導者の言葉や態度に戸惑い、心が苦しむ。真面目な子ほど強く影響を受けやすい。


しかし感情に左右されない関係性が築かれた後は、態度に翻弄されることなく指導者の思いや意図を素直に受け止めるられ向き合える。そしてしばらくあの手この手と習得するために自ら考え模索する。


指導の意図が理解でき行動に移せて結果を残せた時こそ、子供はようやく本来の指導者の思いを理解できる。さらに指導者が誉めて頑張りを認めてくれた時には信頼関係が強く確かなものになると私は思う。


指導は伝わるまでに時間がかかることも多く、また結果が形に現れるには時間を要することがある。

その間のやり取りで誤解を招くことも多々ある。


しかし互いの思いを言葉で交わし、感情に左右されない関係性を築く過程こそが指導の意味において本当は最も大切なんだと私は思う。

高校最後の野球が終わった (vs 冨田高校)




高校最後の試合は、大野レインボースタジアムで行われた。試合結果は残念ながら敗退した。


選手それぞれいろいろな思いがあるだろうが全ての試合を終え同時に高校の野球部活動も終了となった。


小学3年生から野球を始め中学ではクラブチームに入り、高校までずっと野球中心の生活を親子ともに続けてきたが、今思えばあっという間だったなぁとしみじみ思う。

本当に終わってしまうのかぁ…とまだまだ実感がわかない中、今年は大学受験生!学習に気持ちも切り換えねばならない!


同じ高校出身で野球部OBでもある父と同じ背番号を背負って試合を終えた息子!

肩を組んだ親子二人の最高の笑顔は、息子の最大の親孝行だ!


そして今後は、毎年行われるOB野球に二人で参加し、親子が活躍する姿を楽しみに待っていたいと思う!


今後も楽しみにしてるよ!

長い間お疲れ様でした。

感動をありがとう!